今回ドル漫では『チ。-地球の運動について-(以下、チ。)』の最終回・最終話のネタバレ感想を画像付きでレビューしようと思います。作者は魚豊。掲載誌はビッグコミックスピリッツ。出版社は小学館。2020年から2022年まで連載されていた歴史漫画。
『チ。』は全8巻という程々に短いボリューム感ですが、コミックス累計発行部数は250万部を超えているそう(2022年8月現在)。既にアニメ化も決まっているとのこと。ただ内容が内容なんですが、作者の年齢が25歳と若いことに驚かされるはず。
そこで全体の総括的な評価も含めて、『チ。』の個人的な感想をレビューしていこうと思います。最終回の結末まで考察してるので、あくまでネタバレ注意です。
チ。の内容あらすじ
舞台は15世紀のヨーロッパ。P王国という国家では「C教」という宗教が政治の中心になっていた。
C教の価値観では地球が【宇宙の中心】であり、その一方で【宇宙の底】に位置しているとされていた。何故なら地球は汚れていて位が低いから。それ故に、地球に住む下等な人間には宗教による救済が必要という考えが主流だった。
いわゆる天動説という考え方が現実世界でも一般的だったわけですが、C教の教義とも深く関わっていることから「天文学の研究」に対する風当たりも強かった。天動説を否定する者は「異端者」として扱われて、場合によっては拷問や火あぶりの刑を受けた。
まさに恐怖政治よろしく。
○最初の登場人物はラファウ
この時代に生まれた一人の少年が【ラファウ】。12歳で大学に進学し、義父の【ポトツキ】の影響から神学を専攻しようとしていた。ただ【フベルト】という地動説を研究していた異端の学者と出会う。当初は捕縛されていたが、改心したと嘘をついてポトツキのもとに引き取られる。
そこでラファウはフベルトが提唱する地動説の「合理的な美しさ」に感動を覚える。その後、2人は共同で夜空の観測を始めるが、最終的に異端審問官にバレてフベルトは火あぶりの刑に処される。ただその直前に、フベルトは「これまでの研究成果」をラファウに託す。
ラファウが「やり残したことは?」と尋ねると、フベルトの最後の言葉は「たった今やったよ」。
しかし研究成果を引き継いだラファウにも魔の手が迫る。義父のポトツキもまたかつて地動説を研究した過去を持っていたが、自らの保身で通報。息子のラファウは投獄され審問にかけられるが、「僕は地動説を信じる」と言い放って有罪判決を受け入れる。
ただ拷問を受ける前日、「僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす」という言葉を残して自ら服毒自殺を図る。フベルトが地動説の研究成果を残したように、ラファウの研究成果も10年後、【オクジー】という代闘士も継承されていく…という物語になっています。
○登場人物は章によって異なるが…
だから『チ。』という漫画は地動説や過去の宇宙論を巡る物語になります。そのためコミックス表紙に写っているキャラクターは全員地上から夜空を見上げている構図になっています。
またネタバレしておくと、『チ。』のストーリーは合計3章に分かれています。知識(地動説の研究)が連綿と継承されていくことがテーマの漫画だけあって、主役級の登場人物は割りとコロコロと変わるので覚えるのが意外と大変か。
それでも一貫して登場するのは【ノヴァク】と呼ばれる元傭兵の異端審問官になります。命懸けで地動説に取り組む人間を次々と潰していく敵キャラ。そのため逆に言うと、ノヴァクを覚えて読んでるとストーリーは理解しやすくはなるかも。
また最後の結末にもノヴァクは敵キャラながらしっかり絡んでくるんですが、それは後述します。
漫画タイトルの「チ。」の意味とは?
ちなみに、漫画タイトルの「チ。」の意味は【大地や地球】のチ、【知識】のチ、【血】のチから来ています。漫画の作中にハッキリと何度か描かれています。前者2つは既に何となく分かると思いますが、割りと血生臭い漫画だったりします。
また句点(。)の意味は【大地が止まっている状態】を指しているそう。そのため「地球は動かない」という天動説をシンプルに言い表している模様です。チが地球と仮定すると、その周囲を回っている句点がさながら太陽のように描かれているデザインっぽい。
ただ最後の最後では句点(。)のデザインには地球が描かれているので、天動説から地動説に置き換わった感が演出されたタイトルになっています。いや、むしろ最初から句点は地球として描いていたのかも知れない。
他にもグーグル検索でわざわざ検索しづらいような漫画タイトルにしたんだそう。読者の意見に感化されないためとか。ただエゴサーチしなけりゃいいだけじゃね?とは思ったり。最近は正規のニュースに読者がコメントできることも多いんだから防ぎようがないよなーと。
同じような理屈で考えると、浅野いにおの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』も似たような感じで命名したんかなと思ったりしますが、読者に対して「若干の悪意」を感じさせるタイトルではあります。
最終回までのあらすじとは?
ということでコミックス最終8巻のネタバレ感想をレビューしたいと思います。
地動説の研究を行っていた代修道士の【バデーニ】と代闘士の【オクジー】は、異端審問官の【ノヴァク】によって拷問の末に処刑されてしまう。ただ最後にバデーニは自らの研究成果を貧民の頭皮に入れ墨として書き残していた。
これを託された同じく修道士のクラボフスキが「本」に認める。『チ。』の最終章ではそこから25年後、バデーニたちが残した「地動説」の本を巡る戦いが描かれます。
後の司教となる【アントニ】の計略によって死亡したと思われたノヴァクの娘だった【ヨレンタ】は「異端解放戦線」のボスとして、この地動説の本の入手に動いていた。この異端解放戦線にひょんなキッカケで仲間に入ったのが、遊牧民の【ドゥラカ】という少女だった。
○残された地動説の本を巡る戦い
ドゥラカは幼い頃から神の存在は一切信じなかったが、天才的な商才を持ち合わせていた。C教の戒律を重んじる村では自らの才能を発揮できないことに悩んでいたが、地動説の本と出会って世界は一変する。そこで神の代わりに「娯楽」としての地動説を広げようと考える。
何故なら、人々が地動説を追い求めれば「本が売れて大金を稼げる」とドゥラカは考えたから。
一方、異端解放戦線のボスとなったヨレンタも同様に、地動説の本を大量に出版しようと考えていた。地動説が世間に普及させることができれば、これまで弾圧してきたC教正統派に一矢報い、また仲間・バデーニやオクジーの無念を晴らせると考えたから。
金儲けの手段として地動説の本を使われることに反対だったが、かつてオクジーたちに救われた「自分の過去」と「今のドゥラカ」を重ねたヨレンタは活版印刷機を貸し出すことを約束する。最終的に図らずも、地動説の本の出版にドゥラカも協力することとなった。
○地動説を打ち殺す
ただ異端解放戦線の暗躍を看過しなかったのがC教正統派。地動説の価値観はこれまで普及させてきた宗教的価値観に真っ向から反するもの。また異端派のテロによって既に何名ものC教正統派の犠牲者が出ていた。
そこで白羽の矢が立ったのがノヴァクだった。娘のヨレンタが死亡したと思い込んでいたノヴァクはすっかり落ちぶれていたが、自分が抹殺したはずの地動説の本が再び世に出回ろうとしている事実を知らされて、その出版の阻止を決意する。
「地動説を打ち殺す」。
そしてドゥラカたちがヨレンタの元に訪れた翌日、ノヴァクは即座に襲撃する。
ただ既にそれを予期していたかのように、ヨレンタはあらかじめ用意していた火薬に火を放って自爆する。父親のノヴァクとは一瞬邂逅したかに見えたが、それ故にヨレンタは火を放つことに躊躇しなかったようだった。
何故なら、ヨレンタは「もし今の私が父と対峙して道を阻まれたら人生最悪の瞬間。だからこそ正しいと思った選択をしなきゃいけない。きっとその一瞬の選択の為に、私の数奇な人生は存在する。積み上げた歴史がいざって時に退かせない。全歴史が私の背中を押す」と語っていた。
果たして2人の親娘は最後に出会ったのか?本当に出会わなかったのか?
シュミットの決意
その後、ヨレンタの犠牲も手伝って、ドゥラカは隊長の【シュミット】と共に逃亡を図ることに成功する。そのまま活版印刷機のある納屋に向かい、地動説の本の出版活動を開始する。「既存秩序と階級を破壊し、新たな地平を次世代に広げる」というヨレンタの意志を継承するため。
しかし内部にいた裏切り者(フライ)のせいで、再びノヴァクたちに居場所がバレてしまう。そこで遊牧民の娘・ドゥラカは「C教正統派を代表する司教・アントニを説得する」と提案する。何故ならノヴァクが強すぎてバラバラに逃げたとしても、いずれ全員捕縛されて処刑されるから。
異端解放戦線のメンバーは当初反対していたが、隊長シュミットの一存でドゥラカに全てが委ねられる。シュミットとノヴァクの壮絶な戦いが繰り広げられるものの、軍配はノヴァクに上がる。喉を突き刺されて自らの血で溺死するシュミットを見て、ノヴァクは「地動説信者に相応しい惨めな運命」と嘲笑する。
それに対して、シュミットは「しかし…私が選んだ運命だ」と言い残して死亡する。それまで神の存在を敬虔なまでに信じていたシュミットだったが、神のコイントスの結果に初めて逆らって、ドゥラカに託すという自らの【直感】を優先させていた。
それ故に当初は【神への冒涜】ゆえの恐怖感も初めて感じていたが、死を間際にして初めて【神の呪縛】から解放されたシュミットの表情に悔いはなかった。
司教アントニとドゥラカの邂逅
そして、全ての運命を背負うドゥラカが向かう先は司教のアントニだった。かつて2人はとある廃村で出会っていた。当初は教会側に売られる予定だったが、ドゥラカの聡明さに目をつけたアントニが仲間に引き入れようと考えていた。
だから既にドゥラカの聡明さを知っていた司教アントニは、「お久しぶりです。未来の話です。儲け話です」と語る彼女をすぐ保護した。ドゥラカは活版印刷の有効性、市民が娯楽に飢えていること、その最大の刺激的な娯楽こそが地球の運動【地動説】であることをとうとうと説明する。
一瞬躊躇するアントニだったが、「歴史上地動説が弾圧された前例を聞いたことがありますか?果たしてこの説は本当に異端的なのですか?」と説得するドゥラカの言葉に思いとどまる。事実、P国のC教正統派では近年弾圧が行われていたものの、その他の国で地動説が弾圧された例はなかったから。
そして昔から打算的だった司教アントニは、ドゥラカの提案に乗る。それは時の権力者の裁量によって、いくらでも世の中の道徳観念は変えられる瞬間だった。
地動説に対する弾圧はただの勘違い
そこに異端審問官のノヴァクが追い掛けてくる。アントニ司教はかつてノヴァクの娘・ヨレンタの死を偽装するなど、ノヴァクを一方的に嫌悪していたが、その事実はノヴァクは未だに知らないでいた。
そのためノヴァクは「ソイツは地動説を吹聴する異端者だ。危険です。その女から離れてください」と強く説得するものの、アントニは無反応だった。「まさか」と驚愕するノヴァクに対して、アントニ司教は「君は地動説の何が問題だと思う?」と逆に問いかけた。
冷静に考えると、具体的な根拠がないことにノヴァクは反論に困る。
立て続けにアントニは「人を異端と呼び、拷問し殺すなら、その理由に正当性があるかどうかを説明できるくらいは調べろ。行動に責任を持て」とノヴァクを糾弾し始まる。さらには「もし大地が実際に動いてるとしても、聖書を読み直して再解釈すればいいだけ」と開き直って見せる。
アントニが考える事の顛末はこうだ。「ある所に宇宙論に特別厳しい権力者がいて、運悪く彼の管轄内で地動説を研究した者たちが異端者の烙印を押された。皆は地動説は禁忌という物語を信じるようになった。その汚れ仕事は傭兵上がりの君に委託された」だけ。
つまり、「C教世界や人々の信仰を守るための聖戦ではなく、一部の人間が起こした【ただの勘違い】だった」ということ。これまでの人生全てを糾弾されたか如きのノヴァクは発狂するが、自らが処刑した記録のほとんどは非公開だったため証拠は何もなかった。
社会から「神」が消えても、人の魂から「神」は消せない
だから状況証拠だけ見ると、地動説を一方的に迫害していたのはノヴァクだけだったことになる。何らの証拠が残っていない以上、ノヴァクもノヴァクが処刑したラファウやオクジーたちも「歴史に名を残す登場人物」ではなかった。
それは地動説が悪という概念も実は存在しなかったことになる。
ノヴァクは「どうせ動機は金だろう?神を失ったら人は迷い続ける」と司教アントニたちを責めるものの、遊牧民の少女・ドゥラカは「きっと迷いの中に倫理がある」とヨレンタの言葉を引用する。そして、「苦しみを味わった知性はいずれ異常な技術も乗りこなせる知性となる」とこの先の未来を予言して見せた。
それでもノヴァクは「呆れるほど楽天的」とどこか諦めに近い侮蔑的な表情を見せるが、ドゥラカの反駁は止まらない。何故なら、これまで神を愛し地動説も頑なに愛した人たちの犠牲が記憶の中にこびり付くように残っていたから。
そして、「きっと社会から神(C教)が消えても、人の魂から神は消せない」とノヴァクの考えすらも擁護してみせた。ドゥラカは一切の神を信じなかったが、神を信じていた人たちの信念はまざまざと目の当たりにしていた。さながら代弁者のようだった。
悪役も同じ時代を作った仲間
しかし最悪の状況を想定していたノヴァクは、教会の周囲に大量のお酒をバラ撒いていた。また門番に「異端者の捜査で教会へ向かう。容疑者は地動説主義者」という言伝を言い残して、司教アントニの元に訪れていた。そして、その説明の後にアントニの首を刺して殺す。
つまり状況証拠だけ見ると、地動説信奉者がテロを図ったようにしか見えない。その後ドゥラカも殺そうと脇腹を刺すものの、逆にノヴァクも返り討ちにあってしまう。そのまま負傷したドゥラカは逃亡を図るものの、ノヴァクは自ら放った火に囲まれて教会に閉じ込められる。
まさに息も絶え絶えの状態のノヴァクの目の前に現れたのが、かつて自らが処刑しようとした12歳の【ラファウ】だった。思わず神様に語りかけるノヴァクだったが、目の前のラファウは「どうも。死にかけで朦朧としてて勝手に見えてる幻ですよ」と冷静に解説してみせた。
そして、ノヴァクは自問するようにラファウとの会話が始まる。この物語の悪役だったと自己評価するノヴァクだったが、ラファウは「同じ思想に生まれるよりも、同じ時代に生まれることの方がよっぽど奇跡的で運命的。たとえ殺し合うほど憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする」と励ます。
神様どうか娘は天国へ
あくまでノヴァクが産み出した幻影に過ぎなかったが、それ故に自らの本心を語り出す。信念のために死のうとした12歳のラファウに対して、「心の痛み」をこれまでずっと感じていたことを懺悔する。この痛みに最初から向き合っていれば、ノヴァクの娘・ヨレンタも死ぬことはなかったはず。
そして、いよいよ教会も崩れようとする中、ノヴァクはラファウに最後に問うた。
「私の娘は、天国に行けたのか?」
これに対する解答(死後の世界がなんたるか)をラファウは持ち合わせていなかったが、「そうなってほしいなら、貴方がまだ生きている内にすべきだと思うことをしてください。やり残したことを」とノヴァクにアドバイスしてそのままその幻影は消滅する。
○ノヴァクも「時代」を生きた無名の当事者
その直後、ノヴァクは懐に隠し持っていた「片腕」を取り出す。それは昨夜に自爆した異端解放戦線のボスの片腕だった。
しかしまるで「知っていた」かのように、司教アントニから渡されていた娘・ヨレンタの白い手袋をそれにハメるとピッタリだった。ノヴァクは思わず、それを愛おしそうに強く抱きしめる。
「お前も地獄に堕ちたっていいと思えるものを見つけたんだな…神様…地動説があなたに反するものでないなら、どうか、どうか、子供だけは天国へ」と最後の祈りを捧げて事切れる。つまり、ノヴァクは自爆したボスが娘のヨレンタだと気付いていた。
逆に、ヨレンタもきっとそれに気付いていたはず。まさに悲劇。
強いて言えば、25年もの月日が経過してることを考えると、ヨレンタの手の大きさは変わってるやろとは思いましたが、最後の最後で悪役のノヴァクも救われたというオチになっています。
知識への探究も悪であれば、人を殺すことも悪。そういう意味で、どちらも厳密には神に逆らう異端な存在ではある。目標やベクトルが多少異なったとしても、どちらも時代を生き抜こうと強くもがいただけ。それ故にノヴァクが最後に少なからず救済されたのでしょう。
Amazonのレビューなどを読むとなかなか評判が悪かったですが…。
ドゥラカの最後はどうなった?
一方、ドゥラカの最後はどうなったのか?
教会の追手から逃れるように街を離れるドゥラカだったが、ノヴァクに刺された傷は思いのほか深かった。そう遠く離れてない岩に腰を掛けて、ヨレンタから託された手紙を鳩の足にくくりつけてそのまま飛ばす。もはや死期が迫っていることは明らかだった。
打算的に生きてきたドゥラカは「死んだら全部終わり。神も死後もない。稼いだ金も覚えた知識も見えた未来も、すべてムダ」とひたすら後悔をにじませる。大金を稼げる可能性を確信していただけに、ドゥラカの落胆はひとしおだった。
しかし、死を直前に朝日が昇る。これまですべてをあからさまに照らす朝日が嫌いだった。否が応でも、人間の運命の洗いざらいに明らかにしてくる存在。ただ「朝日の良さは死んでもわかりません」と語っていたが、死を前にして太陽の無条件な美しさを受け入れることができた。
つまり、隊長のシュミットが語っていた【神】を最初で最後に感じ取ることができた。この瞬間、ドゥラカの目からは大量の涙が溢れ出ていた。運命付けられているように毎日昇る朝日は、ドゥラカの死を暖かく受け入れ、また優しく拒否しているようでもあった。
ドゥラカの最後の表情は実に穏やかであった。
チ。の最終回が意味不明すぎる?
そしてドゥラカの死後、果たして世界はどうなったのか?
やはり賛否両論ある終わり方だと思いますが、『チ。』の最終話の舞台は「現実世界のポーランド」に移ります。
これまでP国とイニシャル表記されていましたが、この最終話でポーランド王国と明言されます。C教もキリスト教やカトリック教会とは表現されてないものの、告解室といったアイテムを使って遠回しにそれと表現されています。
最終話の主人公は【アルベルト】を名乗るパン屋で働く青年。天体観測が大好きで聡明で頭が切れたが、知的探究心をどこか悪と定義付けていた。そのためパン屋の店長から大学の進学を打診されても断るほどだった。しかし、これには理由があった。
この謎はとある教会の「告解室」でアルベルトが懺悔することで明らかにされる。
それが【ラファウ】と名乗る家庭教師と少年時代に出会ったことからエピソードが始まる。やはりアルベルトと同様、星を観測することを愛する青年だった。ラファウは「知的好奇心とは信じること」をモットーに日夜勉強会を開くなど、知への探究心が飽くことはなかった。
だからラファウは前述のように12歳で処刑されてるものの、何故か最終回では大人に成長している姿が描かれています。そのため最初に読んだ段階ではなかなか混乱しますが、詳細な考察は後述します。
一方、アルベルトの父親もまた知的好奇心が旺盛だった。ただラファウと違った点は「知的好奇心とは疑うこと」という信念を抱いていたこと。歯止めのきかない探究心は、人類にとって取り返しのつかない技術を産み出すと考えていた。
○大人版のラファウが知的追求を優先して…
そして、ラファウとアルベルトの父親はやはり「地動説」を巡って衝突する。知的好奇心が止まらないラファウは地動説の研究や情報を共有して欲しいと懇願するが、地動説が世に出ることで家族の身を案じたアルベルトの父親は資料を燃やすと言い出す。
結果、ラファウがアルベルトの父親を殺めてしまう。
知識を巡って醜い争いをまざまざと見せつけられたアルベルトは、それ以降『知』を探究することから距離を置くようになった。ただ神父が「神は悩んでも問うても口を開かない。だからこそ人間は悩み続けられる」と優しく説得する。
その後、アルベルトは親方に頼んで大学に通う道を選ぶ。真理を追求する上で秘匿も排除も効果的ではなかったが、自らの探究心の赴くままに生きる道を選ぶ。ちなみに、この神父はヨレンタを逃したP国の異端審問官の同僚と思しきキャラクターだったりします。
そして、【アルベルト・ブルゼフスキ】という名前で学生登録する。ブルゼフスキは地元・ブルゼヴォから取っていた名前だった。一切の迷いがなくなったブルゼフスキは、かつてラファウやオクジー、ドゥラカが眺めた空を見上げる。
○最後はコペルニクスにバトンタッチする前に完結する
そこにはいつの時代、いつの次元でも運命付けられるように太陽が輝いていた。晴れやかに歩くブルゼフスキだったが、町中でとある本の題名が耳に入る。それが『地球の運動について』という本。ブルゼフスキは「運動するのは天球だし」とそのまま聞き流すが…
ふと足を止めて、ブルゼフスキは「?」と感じる。その後、大学の教員として20年以上も教鞭を執る。その際に天動説に関する疑問を呈することもあったが、天文学に精通するブルゼフスキは学生たちに最新の資料を提供することを惜しまなかった。
このブルゼフスキが教える学生の中に【コペルニクス】と呼ばれる学生もいた…という解説で『チ。』は完結しています。
アルベルト・ブルゼフスキのパラレルワールドだった?
だから12歳で死亡したラファウが何故か生きていたり、『チ。』の最終回はいわゆる【パラレルワールド】を思わせる終わり方になっています。
事実、最後に登場した【アルベルト・ブルゼフスキ】は15世紀に実在したポーランド出身の天文学者・数学者になります。1445年に生まれたブルゼフスキは天文学や数学の優秀な先生として有名で、月が地球の周囲を楕円軌道で周回していることを世界で最初に解明したそう。
そして、ブルゼフスキの生徒には【地動説】を最初に確立させたニコラウス・コペルニクスも実際にいました。「地球の動き方に関するコペルニクスの重要な論文」にも関与するなど、まさに『チ。』という漫画の世界観のベースにあった天文学者になります。
ただ最終的にコペルニクスの物語が一切描かれていないことが賛否両論だったりします。
でも、実はコペルニクスも死の直前にようやく地動説を発表したものの、その後も長らく地動説が世間で受け入れられることはなかったんだそう。そこから50年以上経過した後、ガリレオ・ガリレイなどが地動説を体系的に立証してようやく認められていく。
だからコペルニクスの物語を最後に描こうとしたら、また実際に地動説が世界で認知されるまでを描こうとしたら、もっと長い長い物語を描く必要がある。
○ブルゼフスキの頭の中でパラダイムシフトが起きた時点で完結してる
そのためコペルニクス直前で『チ。』という物語完結させたのは、むしろ最適のタイミングだったのかなと思います。
天動説から地動説へ移行する、知の感覚が大きく変わる瞬間がいいんですよね。哲学と結びついて、「コペルニクス的転回」や「パラダイムシフト」って言葉が生まれるくらいの衝撃を与えました。その瞬間が面白くて、漫画にしようと決意しました。
と作者・魚豊は語っていましたが、確かに【世界の知の感覚】が大きく変わる前に話が終わってしまってる。まさにパラダイムシフトが起きる前に物語が完結しているので、そこらへんで「尻切れトンボ」に感じてつまらない読者もいるのでしょう。
それでもコペルニクスに繋がる【ブルゼフスキの頭の中】ではパラダイムシフトの予兆が起こっている以上、あとは詳しく描かなくても読者に伝わるという判断なのでしょう。結局、一番重要なことは「コペルニクスに至るまでの過程と気付き」。
作中でもノヴァクが死の間際に【フベルト】のネックレスを返却しようとしたが、ラファウは「それはもう僕だけのものじゃない」と拒否している。運命や知識は継承されていくもの。
オチがパラレルワールドだった理由も最後は時代を超えて、また次元すらも超えて「人間の思い」は継承される力があることを強く表現したかったのかも知れない。歴史漫画ではなく、ファンタジーSF寄りの作品として解釈すればそこまで悪い終わり方ではないか。
イニシャル表記が多かった理由とは?
一方、『チ。』は何故か具体的な人名や地名などは使わず、何故か【イニシャル表記】が多い漫画でした。
例えば、C教とは「キリスト教」のこと。普通にキリスト教と言えばいいのに、誰に気を使ってんねんと。知を追求している漫画には似つかわしくない浅ましい演出でした。
他にもH戦争とは「フス戦争」のこと。
フス戦争とは敬虔なカトリック教会とフス派(後のプロテスタント)との戦い。『チ。』の中で異端派とされていた勢力は、まさにフス派(プロテスタント)のこと。現実世界ではカトリックが勝利し、フス派は敗北したものの、プロテスタントによる宗教改革は後に進んでいく。
だから現実世界でも宗教弾圧を行ったとされるカトリック教会の影響力は15世紀を境に徐々に減退し、『チ。』の作中のキャラクターが望んだように地動説の研究が世に広がっていくタイミングでもあった。明らかに具体的な事象がモチーフになっている。
○あったか分からないけど、きっとあったに違いない現実
ただ歴史漫画を本格的に描こうとしたら、もちろん【事実に忠実である必要性】がある。でもガリレオ・ガリレイこそ宗教裁判にかけられていましたが、どうやら実際には「カトリック VS 科学者」という対立構造はなかったとも言われています。
そのため作者自身もインタビューなどで「虚構」と語っているように、イニシャル表記の演出はキリスト教に対する配慮などではなかった模様です。事実、コペルニクスもわりと熱心なカトリック教徒だったとされています。これも最後までコペルニクスを登場させなかった理由か。
だから、最後の結末に「現実の歴史」を唐突にリンクさせてきたのも、あくまで【コペルニクスが地動説を唱えた】という厳然たる事実があるからでしょう。ここはフィクションでは誤魔化せない。
それでも『チ。』という漫画を最初から一貫してフィクションとして描いていた理由は、作者が「あったか分からないけど、きっとあったに違いない現実」「命懸けで知識が紡がれていく血なまぐさい過程」を自由に描きたかったからでしょう。
無名の天才たちの功績が引き継がれる。勝手に自然に
例えばエジソンにしてもアインシュタインにしても、誰もが知る著名な科学者も多くは【最初に研究成果を発表した人】に過ぎない。事実、地動説に関しても、紀元前3世紀にもアリスタルコスという数学者が太陽を中心に地球が回っていると提唱していたそう。
そう考えると『チ。』で描かれていたような【無名の天才】たちが今もなお現実世界では存在しているはず。例えば、カバー裏表紙に毎回出典として記載されている情報がWikipediaのページなんですが、これはまさに無名の執筆者が書いた情報の集積地。
だから、その無名の天才たちを描くためには「イニシャル表記」で誤魔化したほうが演出としては合理的だったのかも。あらゆる知識は連綿と受け継がれていき、また波紋のように影響を及ぼしていく。世界的に有名な科学者であっても、孤立無援で何かを成し遂げたわけではない。
まさに【知のバタフライ効果】というのか、過去の偉人たちも見ず知らずの知識人の頑張りの積み重ねによって生み出されている。ヨレンタの言葉を借りるのであれば、「人は先人の発見を引き継ぐ。それもいつの間にか勝手に自然に」。
漫画も典型例。他作品から受けた影響の積み重ねで生み出されているに違いない。知識も運命も惑星も巡るもの。
パラレルワールドも科学的に反証されたわけではない
またオチの「パラレルワールド」的な結末にしても科学的に否定されたものではない。それだけ宇宙は広大。かつて地動説を頑なに否定していたカトリック教徒のように、自分たちも思い込みだけでパラレルワールドを否定していないか。
パラレルワールドも量子力学的な観点から存在する可能性も指摘されてる。量子力学と宇宙の創生には深い結び付きがある。だからパラレルワールドというオチも、そこらへんの「読者の天動説的な思い込み」を暗に皮肉っているのかも知れない。
自分も宇宙論が好きで趣味でいろいろ読んでいるんですが、マジで宇宙はヤバい。天動説然り地動説然り、惑星数個のみみっちい話では収まらない。宇宙の外には全く物理法則が異なる別の宇宙があるとも言われるなど、まさに漫画の空想をしのぐ世界。
だから宇宙は【神】が作ったとしか思えないスケール感。『プラチナエンド』の最終回でも触れた記憶がありますが、こじんまりした惑星の世界には絶対にいない。
コメント
ニュートンとか読んでる人なのですね。
https://www.nikkei-science.com/201407_094.html
日経サイエンスのこの記事を買って読んでみると、
当時の「地動説は間違っていると考えていた科学者」も、
それなりに正しいと思いますよ。
ちなみにその後、銀河系というものを理解しようとする科学者は、
大銀河系説と島宇宙説で考えが割れます。
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2012_07/03rensai-01kogure.pdf
今って「島宇宙」って聞かなくなりましたね。
ブライガーってアニメで島宇宙って単語を使っていたのは、
何年か前の東京MXの再放送で確認済みです。
ワンピースの最後は島宇宙に飛んでくんですかねぇ?
いろいろ情報ありがとうございます。
「島宇宙」という言葉は初めて知りました。
昔から宇宙が好きな男の子ってわりと多いですよね。
実際、ワンピースもJAXAとすでにコラボしてたりしますし、
多分、尾田さんもご多分に漏れずだったのかなと。
昔は特にSFアニメや漫画も多かったようですし、
例えば眼帯の海賊は宇宙海賊キャプテンハーロックがモデル?
だから、ワンピースも最終的に宇宙に飛び立つ可能性も十分あり得ると思います。
島宇宙という概念は、それこそルフィが宇宙海賊になるならピッタリなイメージ。
もし興味があれば他の記事も読んでみてください。
https://d-manga.net/onepiece-pirate-eye-patch
https://d-manga.net/One-Piece-LAST
>>例えば、C教とは「キリスト教」のこと。普通にキリスト教と言えばいいのに、誰に気を使ってんねんと。知を追求している漫画には似つかわしくない浅ましい演出でした。
いや…これって
「史実の地動説は苛烈な迫害などされていないから、これは現実と繋がりのない創作物としてのただのフィクション」
と思わせて
「地動説迫害と異端審問そのものが局所的に行われた歴史にも残らない物だった」
と一気に現実に近づけさせる為の表記だと思ったのですが…
というか「「現実の歴史」を唐突にリンクさせてきた」と
作品の意図にも態々触れているのに
何故”浅ましい”と評したのかがちょっと疑問でした
ヨレンタの手袋はデカサイズだぞ