『終末のワルキューレ』のネタバレ感想を画像付きでレビューします。作画は「アジチカ」、原作は「梅村真也」、構成は「フクイタクミ」。掲載誌は「月刊コミックゼノン」。出版社は「コアミックス」。ジャンルは「バトル漫画」。
『終末のワルキューレ』は2021年にNetflixでアニメ化され、第二期は2023年に再び配信されます。だから割りと人気漫画らしく、『終末のワルキューレ』のコミックス累計発行部数は1400万部(2022年11月時点)を突破しているそうです。
そこで今回ドル漫では「終末のワルキューレが面白いかおすすめか」など徹底的に考察していこうと思います。ちなみに、英語表記は『Record of Ragnarok』とのこと。日本語に直訳すると「終末の日の記録」。
内容あらすじ・登場人物まとめ
まずは『終末のワルキューレ』の「内容あらすじ」を解説します。
【人類】が最初に誕生して、早700万年が経過しようとしていた。しかし、今まさに人類は存続の危機を迎えていた。何故なら、全世界の創造主【神】が集まるヴァルハラ協議会で「終末」を与える決定を下そうとしていたから。
1000年に一度行われる裁定で、人類は生かされていたに過ぎなかった。
ここ1000年を振り返ると、人類は驚異的な科学的進歩を遂げたが、その反面として環境汚染を筆頭にさまざま弊害を地球にもたらしてきた。多種多様な生物は絶滅を遂げるなど、神から言わせると「人類こそが世界を滅ぼす災害」と酷評するのも頷けるものだった。
しかし、これに「待った!」をかけた神がいた。それが戦乙女(ワルキューレ)である【ブリュンヒルデ】。戦乙女はヴァルキュリアとも呼ばれる、戦争で生きる者と死す者を見極める存在。しかし半神であるが故に、最高神オーディンといった神は苦虫を噛み潰した表情で睨みつける。
ただ戦乙女・ブリュンヒルデはそれに怯むことなく提案する。
○神 vs 人類のタイマン(最終闘争)
「確かに人類の暴虐は目に余る。ただ人類を滅ぼすだけでは芸がない。神々の慈悲と神威をみせつけつつ、彼ら人類を試してみては?」と、戦乙女・ブリュンヒルデが全世界の神々に提案した驚くべき内容とは…
それが【ラグナロク】。
つまりは神と人類による「タイマン」だった。もちろん多くの神々は一笑に付す。滅ぼす側と滅ぼされる側。ハナから勝負になるはずがない。ましてや一対一など話にならない。しかし人類を見捨てることはできないブリュンヒルデは大胆にも神々を挑発する。
「ビビってるんですかァ!?」。
○最強の神に挑む歴史上の偉人たち
これを聞いた全知全能の神・ゼウスは快諾するが、その表情は憤怒で満ち溢れていた。「皆も久しぶりに見たいじゃろ?神々の暴力を!」と神は人間よりも遥かにキレやすい生き物だった。幼子(人類)のオイタを軽く受け流す度量はなかった。
そして、神と人類による最終闘争(ラグナロク)の火蓋が切られるのであった。
【人類】側は始皇帝、ジャックザリッパー、佐々木小次郎、アダム、呂布奉先、テスラ、シモヘイヘ、【神】側はゼウス、ポセイドン、シヴァ、ロキ、ベルゼブブなど。戦乙女ブリュンヒルデが「有名な偉人」をエインフェリアとして集結させ、天界最強の神々に挑んでいく。
果たして最終的に勝利するのは人類か?神か?世界の終末は避けられるのか?
バトル描写がおすすめ
まずは『終末のワルキューレ』のおすすめポイントや面白い点を考察していこうと思います。
ジャンルがバトル漫画だけあって、素直に「バトル描写」がおすすめです。最強の神が持ち合わせる武器に対抗して、人類側は戦乙女を神器化させて対抗する。まさに神 vs 神の戦いが勃発する。神頼みが一切通じないガチソコ勝負は、まさにバトル漫画のそれ。
例えば、北欧最強の神・トールが「トールハンマー(闘神の雷槌)」を呂布奉先に繰り出す場面。雷撃をまとった最強の槌・ミョルニルに、まさに中華最強の呂布も呆然と立ち尽くすだけ。意外と結果自体は…という話ですが、完全に能力バトルの迫力。
他にも天才科学者ニコラ・テスラと蠅の王・ベルゼブブの戦いは、まさに魔法バトル漫画のそれ。『終末のワルキューレ』の醍醐味がバトル描写と言っても過言じゃないはず。いろいろ手抜きされていたと言われるNetflixのアニメ版が炎上したのも納得です。
前述の個性的なキャラクターが次々と大立ち回りで派手に戦う姿は、バトル漫画好きの読者にとってはヨダレものでしょう。
ちなみに、作画を担当しているアジチカですが、実は複数のメンバーで構成されているユニット名になります。例えば、CLAMPのようなチームと考えるといいか。現在は4名(あじ・カトウチカ・富士昴・原)ほどいるそうです。
キャラクターの生き様が熱い
続いてのおすすめポイントはその「キャラクターの生き様」になります。漫画は回収されるか分からない伏線よりも、目先の登場人物の魅力が重要。
例えば、【人間サイド】では「始皇帝(嬴政)」の過去などが掘り下げられます。ちなみに、『キングダム』の主人公でもあります。
中華を初めて一つの国として統治した秦の始皇帝ですが、実は幼少期は人質として敵国・趙に預けられていた。いつ殺されてもおかしくない状況に晒され続けた結果、嬴政は「他人の憎しみ」を自身の痛みとして感じるようになった。
その結果、周囲の憎悪を和らげるためは常にヘラヘラと笑う子供として育つ。しかし、春燕という女の護衛に出会って一変する。「人の痛みが分かる優しい人間。生きたいように生きて」と育てられた嬴政は、徐々に人間としての心を取り戻していく。
その後、秦国に戻ることが許された嬴政だったが、趙の裏切りにあって身を挺して守った春燕が殺されてしまう。しかし春燕の死をキッカケに、嬴政は国王としての自覚が芽生えていく。そして、他者の痛みを識る最強の始皇帝が爆誕した。
○神も偉人もコンプレックスを抱く
他にも【神サイド】でも「ベルゼブブ」などの過去も掘り下げられます。特に神々は神話上で細かく繋がりが描かれているため、人類側よりも相関関係や因縁・イザコザが複雑に描かれています。端的に言うとドロドロしてる。
神も偉人もそれぞれコンプレックスやトラウマを抱えており、そこから逆境から立ち上がる姿に感情移入を覚えやすい。既に知っている神様や偉人の情報だからこそ、読者は安心して先を読もうと思えるその選択が実は良かった。
『終末のワルキューレ』は決してストーリー性のある漫画ではないものの、【キャラクターの生き様】と【激しいバトル描写】がサンドイッチのように交互に描かれるので意外とテンポ感は○。良い意味で、バトル一辺倒ではないのも特徴です。
神器で「力量差」は簡単に埋まるのか?
続いては「面白くない部分」を考察していこうと思います。つまらないとまでは言いませんが、いわゆる個人的に気になったツッコミどころを考察します。
結論から言うと、【神 vs 人類】という感じが基本的にしないです。どれだけ強い人間でも100年も生き続けることは難しい。それに対して、神は何百万年と老いることなく生き続けられる。これが対等に勝負できている納得感はない。リアリティのある均衡具合は演出できていない。
良くも悪くも、終末のワルキューレは【普通のバトル漫画】の範疇に留まっている印象です。そのため展開を打開するアイデアなんかも普通に留まっている感じです。
一応、人間側は「神器」と呼ばれる特殊武器を錬成して神に対抗する。
この神器は戦乙女(ワルキューレ)が自身の肉体を武器に変えることで発現する。神器は戦乙女(ワルキューレ)の特徴に応じて、武器の特性も変わっていく。神も同様に自らの神器を所持しているため、互角の戦いが演じられるという理屈。
○神と人間に「絶望的な差」はない
確かにバトル漫画では心がくすぐられる設定ではあるものの、神器だけで神との力量差を簡単に埋めてしまうのはやや説得力やアイデアに欠ける印象です。結局、この設定だと強いのは神器だけであって、人間のチカラではない。
だから「神」や「人類」というククリに大きな意味があまりない。
「Aという神」「Bという人間」という戦いの構図ではなく、あくまで「Aというキャラクター」「Bというキャラクター」の構図でしかない。せいぜい東軍 vs 西軍レベルの区分けでしかなく、『ONE PIECE』で例えるなら麦わらの一味と黒ひげ海賊団が戦っているようなもの。
普通のバトル漫画と受ける印象としては基本的に同じ。細かい強さの違いはあっても、キャラの本質的な部分に絶望的な差までは存在しません。だからスペシャリティ感のある設定かというと意外と微妙で、設定そのものは正直ありきたりではあります。
あと人類サイドは負けエピソードを持つ「敗北者」の偉人も多い。
例えば、中華最強と言われた呂布奉先も、実は曹操に敗北して泣いて命乞いしたと史実では書かれています。佐々木小次郎も宮本武蔵に負けていますが、たかだか同じ人間に負けている人間が、どうやって神に勝利できるのか?という話。
キャラクターのエピソード自体も強さを跳ね上げることに直接リンクしているかというと、それもまた微妙なところ。そもそも人類側は集められているのは「死者」ばかり。既に死亡した人間が「今を生きる人類の未来」を守るために全力を出すのか?
人間が神に唯一勝てるのは「悪意」だけ
だから「神 vs 人類」という対立軸はそこまで効果的に演出できていない印象です。結局、なんでもアリの勝負だと人間側にとってより不利に働くはずですが、基本的にはお互い対等なレベルのキャラが戦っているだけ。一見すると設定は面白そうですが、展開は脳筋そのもの。
ギリシア神話の神々が登場しているので、ルール制限ありのスポーツ競技で戦ったりすれば神に勝利する説得力が産まれたのかも知れない。その一方、作中で戦乙女・ブリュンヒルデが語るように、人間が神に唯一勝てる要素がありました。
それが【悪意】。連続殺人鬼のジャック・ザ・リッパーとヘラクレス戦において、「人間が唯一神に勝っているものは悪意。人類の底知れぬ悪意の結晶は、善なる最強神をも穿つ」とブリュンヒルデは語っていました。確かにその通り。
神は人々に信仰されてこそ強くなっていく。この考え方を裏返すと、神を信仰しない奴こそが最強。神を憎めば憎むほど、蔑めば蔑むほど神の力は弱まっていく。悪人のエゴイストこそ神を倒せる。しかし、実際には神サイドのキャラクターほど悪人に描かれています。
ここらへんが意外と弱い対立軸や構図に繋がっている気がします。
終末のワルキューレ 総合評価・評判まとめ
以上、『終末のワルキューレ』が面白いかつまらないかの考察でした。
結論をまとめると、何やかんやで普通に【面白い漫画】とは思います。あらすじを読んで抱くような「神に対する絶望感」は最初の戦いから感じさせないものの、「神という概念」を深く細かく突き詰めて難しく考えなければ普通におすすめできるバトル漫画か。
例えば、格闘ゲームの『大乱闘スマッシュブラザーズ』や『ジャンプフォース』の類いと思えば良いか。細かいキャラの性能差を考察すれば、本来は成立しないマッチが多い。マリオとセフィロスが戦う場合、明らかに後者の方が歴然と強いはず。でも、その空間ではしっかり戦いが成立する。
考えてみると、神様も漫画やアニメのキャラクターも「人間が生み出した想像の産物」に過ぎません。
だから『終末のワルキューレ』でも同様に、神も人間もどっちもステータスは同じと勝手に解釈しておけば違和感なく読めるはず。素直に画力は高い方なので、バトル描写にはしっかり引き込まれる。キャラクターも史実ベースではあるものの、比較的魅力的に仕上がっている。
漫画そのもののクオリティは高いか。
○神も所詮は「人間の上位亜種」と思えば?
神も所詮は「人間の上位亜種」に過ぎない。
神は一見すると無敵の存在にも思えますが、神話では神のアースガルド軍はヨトゥンと呼ばれる66体の巨人に滅ぼされそうになったとある。たかだか66体に殲滅させられていたら、『進撃の巨人』で必死に抗っていた調査兵団は何だったのかという話。
神も単なる物質に過ぎない。圧倒的な火力を前には簡単に屠られる。この1000年で文明は進化したものの、人類そのものは堕落した。これがラグナロクを起こそうとした原因でした。神にとって最大の敵は文明。だったら、その文明の利器で神をこてんぱんに駆逐してやれば良かった。
人間も自らが作ったAIに負けるような事例はしばしば起きる。むしろ人間はAIに勝てない場面の方が多い。人間を作り出した神がその人間に負けることは、決して違和感はないのかも知れない。
だから本来であれば「神 vs 国家(軍事力)」といった構図が適切だった気もします。ただ『終末のワルキューレ』のウリでもあるキャラクターの生き様などは描けないので、商業的に成功していたかは微妙か。そういうテクニカル的なアプローチが読みたい人は『幼女戦記』があるか。
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