『零落』のネタバレ感想をレビュー。作者は浅野いにお。掲載誌はビッグコミックスペリオール。出版社は小学館。ジャンルは青年コミックの漫画家マンガ。
そこで今回ドル漫では漫画『零落』が面白いのかつまらないのか徹底的に考察してみました。『零落』の価格は1000円前後と思いのほか高価ですが、今回の感想を是非ご購入時の参考にしてください。ちなみに『零落』に2巻目はございません。
漫画「零落」 あらすじ内容・ストーリー解説
主人公は深澤薫。かつては若者読者相手に人気を博した30代後半の中堅漫画家。しかし、このたび足掛け8年連載した「さよならサンセット」というマンガが完結を迎える。まさに堂々の集大成とばかりに、編集者たちは打ち上げパーティーを開いてくれた。
しかし深澤薫のスピーチを真剣に聞くものは少なく、しゃべる言葉だけが空疎に滑り落ちる。完結を迎えたとは聞こえはいいが、所詮はマンガが鳴かず飛ばずで打ち切り気味に結末を迎えただけ。こんな「落ちぶれた漫画家」の言葉に耳を傾ける人がいないのも仕方なかった。
深澤薫にも妻・町田のぞみがいた。のぞみはマンガ編集者。牧浦カリンという女性売れっ子漫画家の担当だった。まさに深澤薫とは対照的な存在。妻・のぞみとのすれ違いが日常的に続いていたこともあって、深澤薫の中の何かが切れた。
「君といると俺はもう敗北感しか感じないし…だからもう別れよう…もうやってらんねぇよこんなの」と離婚を切り出す。その後も深澤薫は面白い漫画とは何なのか。そもそも一体何のためにマンガを描くのか描かなければいけないのか苦悩。
自らの才能や漫画家としての人生の行き詰まりを感じ、深澤薫は次回作の構想もまとまらず鬱屈した時間をひたすら浪費する日々が続く。「連載」という漫画との繋がりが消えた今、まさに落ちぶれた漫画家の「終わりの始まり」が『零落』では描写される。
零落の意味はそのまま「落ちぶれること」。つまり、『零落』の内容を一言でまとめるなら、連載を終えた零落した漫画家・深澤薫が新たな人生(?)で何を発見するのかが、この漫画のあらすじやテーマになります。
零落と没落・凋落の違いとは?
ちなみに「零落(れいらく)」の意味をググってくる人たちのために余談。興味がない方はスルー推奨。
零落の類語を探すと、例えば「凋落」などが有名な言葉だと思います。じゃあ漫画タイトルも凋落で良かったやんと思いますが、ただ凋落には「衰えて死ぬこと」といった意味も含まれてる。
そのため凋落は「零落」よりも更に意味合い的なネガティブな言葉っぽい。零落は下り坂程度の意味合いに対し、凋落は地の底まで既に落ちた状態。敢えて両者の違いを表現するとしたら、そんな感じになりそう。
他にも零落に似たような言葉に「没落」もありますが、こちらは国家や家単位の落ちぶれを意味してるため、零落より規模が大きい落ちぶれっぷり。だから「零落」というニュアンスは、落ちぶれた1人のアラフォー漫画家には絶妙に相応しい表現なのかも知れない。
深澤薫は作者・浅野いにお自身が投影されてる?
『零落』のジャンルは漫画家マンガではあるんですが、結論から書くと主人公・深澤薫は作者・浅野いにお自身のこと。だからややもすると内容は自伝マンガのテイストも強くなっております。
例えば打ち上げパーティーの帰り、深澤薫はアシスタントの女性に対して自らの作品を卑下。でも女アシは「深澤さんはSNSのフォロワーが多い」とフォローを入れてくれる。確かに浅野いにおもTwitterのフォロワーが30万人以上いるため符号。
打ち切りにされた深澤薫の「さよならサンセット」という作品名も、浅野いにおがかつて連載していた『おやすみプンプン』をモジッたようなマンガタイトルにしか思えない。他にも浅野いにおは実際2年前に離婚しており、広告漫画などを請け負っていた過去など、浅野いにおが自らをベースにしてるんじゃないのかな?と思わせる描写は端々に散見されます。
そのため「独白」という表現も漫画タイトルには似合うのかも知れない。そういった観点で深澤薫のセリフを読んでみると、浅野いにおのリアルな心情の吐露であったり本音も垣間見えて面白いのではないかと私ドルジ露瓶尊は思います。
SNSに関して言うと、「SNSなんかなんのアテにもならないただの遊び。たとえ一握りの信者化したファンが残ったとしても、昔売れた事を鼻にかけた老害作家になるのが関の山」と辛辣。浅野いにおに限った話でもないんでしょうが、「フォローするならコミックを買えよ」というのが多くの漫画家の本音なのでしょう。
浅野いにおがTwitterでエゴサーチできるようになったのも、どうやら『おやすみプンプン』の連載が完結した前後ぐらいらしい。まさに当時の浅野いにおの鬱屈したもどかしい感情なりが『零落』には投影されているはず。
○東村アキコやこのマンガがすごいの編集者も登場?
だから作者・浅野いにおの周辺で起きたリアルな出来事なりも同時に反映されているはず。
例えば「このマンガがすごい!」と思しき編集者やライターなども登場。ただ実際に薄っぺらかったのかはさておき、「漫画家だからって漫画を愛してる前提で話すのやめてもらえませんか?」と深澤薫との間で流れる微妙な空気感も笑えました。
他にも『零落』には「東村アキコ」と思しき牧浦カリンという女性漫画家が登場する。前述の奥さんが担当している売れっ子漫画家。詳しく解説はしませんが、読めば確実に東村アキコだと分かります。ぽっちゃり体型とか、まさに…(笑)
ただ東村アキコと浅野いにおのリアルな接点は不明ですが、敢えて具体的に実在する漫画家を持ってきたことを考えると色々と興味深いかも知れない。東村アキコのTwitterを見ても『零落』の宣伝ツイートはなかったので許可取ってるかは不明。
他にも「ゆんぼ」というすんごいデリ嬢も登場。見た目のインパクト。ユンボってどこを採掘する気やねん。もしかすると浅野いにおもリアルで出会ったのかも知れませんが、そこら辺も不明。
ちなみに、その後「ちふゆ」という別の可愛らしい女の子に出会う。そしてリアルでも関係性が深まって深澤薫は…という展開が『零落』終盤まではメインで描写されている可能性は高そうです。
最終回で浅野いにおが伝えたかったこと
ということで『零落』の最終回で作者・浅野いにおが何を伝えたかったのか?を私ドルジ露瓶尊が個人的に評価考察してみたいと思います。
ストーリーを少しネタバレしておくと、主人公・深澤薫は最終的に漫画家とはどうあるべきかに悩みつつも、これまで忌避していた「売れ線」路線に歩んで「星降る町のポラリス」という漫画を描き上げる。
ただ深澤薫の態度は妻との確執もあってか、「売れればいいんだろ」とどこか投げやり。むしろ漫画に対する嫌悪感が更に増す。書店でのサイン会では作品を褒めてくれる書店員に対して、「それはよかった。馬鹿でも泣けるように描きましたから」とバッサリ。
SNS内でも表面上は爽やか青年を気取っているものの、深澤薫の口から出るのは「娯楽なんて騙したもん勝ちでしょ。売れりゃあそれが正義なんですよ」は毒々しい本音ばかり。前述の「漫画を愛してる前提で話さないで」という発言も然り、漫画家としての態度は悪化していくばかり。
でも、そのサイン会でずっと深澤薫作品をSNS上から応援してくれていた女性ファンのアカリと出会う。深澤薫自身もアカリのことを知っていて、何度かSNS上で返事を返したこともあった。
そしてアカリは「さよならサンセットが終わった時、本当に悲しくてもう生きていけないかもって思って…でも星降る町のポラリスを読んだら胸がいっぱいになって…こんな素敵な作品がこれからも読めるなら、私もう少しだけ頑張って生きてみようと思えて」と涙ながらに深澤薫に対して感謝の握手を求めた。
それに対して「何も分かってない」とアカリの言葉を否定してみせるものの、深澤薫の目にも涙が浮かぶ。直前まで「漫画は売れたらいい」と突き放した冷たい態度を取っていたものの、深澤薫はそれまで封印していた感情が溢れ出した。
○最終話で浅野いにお自身の偏屈な漫画愛を伝えたかった?
その感情とは、まさに深澤薫の「漫画愛」。
深澤薫は新人漫画家時代に元カノから自分の作品が認められたことを強烈に覚えており、「彼女に認められたという事実だけが当時の僕が存在していられる唯一の理由」だったとまで述懐してる。
「売れる・売れない」の視点で落ちぶれた漫画家と評価されていても、やはり深澤薫の根底には「常に漫画への愛」がふつふつと沸き立ったまま。深澤薫がSNS上の評判に一喜一憂していたことからも分かるように、やはり漫画家は読者から褒められることが最大の生きがい。
『零落』の最終回の最終盤でも、主人公・深澤薫は元カノから「先輩はこの世の中で漫画家が一番偉いと思ってるから」と半ば罵られるものの、深澤薫は押し黙ったまま否定も肯定もしない。でも表情は明らかに肯定してる。
向上心が強い女アシスタントとの絡みでも、深澤薫は漫画をどこか見下してるように見えて「軽々しく漫画愛とか言うな。お前みたいな奴が漫画を語れば語るほど、俺の中の漫画の価値が下がる」と痛罵。深澤薫に漫画愛がなければ言えないセリフ。
つまり深澤薫は現在に至っても、その漫画に対するひたむきさは良くも悪くも何一つとして変わってないんだと考察されます。でも、だからこそアカリの発言に「得も言われぬ虚しさ」も感じて、深澤薫はポロリと涙した。
何故なら、アカリに評価されたマンガは「売れ線路線」で描いたから。本来なら深澤薫自身がもっともくだらないと評価する内容。そのつまらない漫画を最も熱狂的な自身のファンだったアカリが賞賛してる現実に直面して、同時に過去の作品たちも否定されたように感じたのではないか。
つまり「深澤薫=浅野いにお」だと仮定するのであれば、『零落』で伝えたいテーマはまさに「浅野いにおの偏屈な漫画愛そのもの」ではないかと筆者・ドルジ露瓶尊は最終的に考察してみました。
コミック「零落」の評価・口コミ・評判レビュー
以上、マンガ『零落』のネタバレ感想でした。もし「浅野いにおイズム」とやらがあるんだとしたら、それが一冊にコンパクトにまとまっていたか。
どうしても「売れる・売れない」だけで評価されてしまう漫画家という職業。相も変わらずそういった現状に対する浅野いにおのモヤモヤ感みたいなんが改めて表現されてる作品ではないか。
そして、同時にいつの間にか自分の評価のモノサシも「売れるか売れないか」だけに変わっていないのか?という自戒も込められているのかも知れない。でも結局、漫画家は漫画が好きだからこそマンガを描いてる。また読者の心を満たすためにマンガを描くべき。
浅野いにおの「これからの漫画家宣言」みたいなもんが読み取れる漫画なのではないかと考察してみる。
きっと唐突に登場した東村アキコも「ビジネスライクに走る商業漫画家」として位置付けて、浅野いにお自身は対照的に「不器用にしか生きられない零落漫画家」として対比させてるはず。
だから年齢的にも近い東村アキコが一番穏当で問題にならなさそう漫画家だからピックアップしただけで、逆に言えば売れっ子漫画家のキャラ設定なら誰でも良かったのかも知れない。
個人的には『ONE PIECE』や『HUNTERxHUNTER』『進撃の巨人』といった面白い人気漫画の作者たちも、基本的に「読者ファースト」の考え方を持ってるとは思うんですが、つまるところ浅野いにおはやっぱり売れ線マンガが大嫌いなんだと思います(笑)
零落の感想追記
このレビュー記事を書いた直後に、コミックナタリーの零落のインタビューを読んだので改めて翌日に追記。
どうやら浅野いにお的には「バッドエンド」な結末を描いたつもりらしい。
もう少し具体的には今回の『零落』では「漫画家と読者の距離感」を表現したかったらしい。唯一温もりを与えてくれていたどこぞのファンが「ファンではなかった現実」が発覚し、深澤薫は漫画家としてまさに天涯孤独の身に突き落とされたように錯覚。
つまり、あの涙は寂しさや孤独感に近い感情から生まれた涙だった模様。
でも、それまで描かれた「深澤薫」という男はそんな漫画家じゃない。元嫁や元アシスタントに対する振る舞いを見る限り、こと女性に関しては特に思い通りにいかないことがあれば「暴力的」に鬱憤を晴らしてきたクズ男。実際の浅野いにおがどうかはさておき。
じゃあ、そんなクズ男がモラトリアム全開のウブな中学生のように、最終回で唐突にホロリと涙を流すのか?って話。もしバッドエンドな結末で締めたかったんなら、最後に深澤薫が表現すべき感情はやっぱり「怒り」。
例えば、思わず怒りに駆られて突発的に握手したアカリの手をグイッと引き寄せてヘッドバットを食らわせるとか、思いっきりアカリの顔面にグーパンチを入れてみるとか。そしてすぐ正気を取り戻して「あ…」とあっけない一言だけ漏らして終わらせてみるとか。
それなら深澤薫といういかにもクズ男らしい結末であり、人間として落ちぶれた零落感も更に表現される。読後感もイヤな感じが良くも悪くも残ります。せめて涙を流すとしても机をバンと叩くとか、サインペンをギュッと握って折ってしまうとか別の表現は必須。
○もっと暴力的な完結シーンを描くべきだった
つまるところ、浅野いにお自身がそれまでのストーリーの展開や流れを把握してないんだと思います。もっと言えば主人公・深澤薫というキャラクターを理解できてない。暴力的で無感情だった人間が最後にホロリと涙を流せば、そりゃ誰が読んでもほとんど「改心」したとしか思えないでしょう。
確かに表情そのものを描く力には長けてる漫画家とは思うんですが、その出しどころやタイミングが盛大に履き違えてる。特にオチや見せ場においてのチョイスミスが致命的。何かしらは読者に伝わるけど、肝心の作者の意図は伝わらない現象はそこが要因でしょう。
零落と一緒に発売された『ソラニン』の種田の最期の表情にしても、それまではリアルな雰囲気を振る舞っておきながら、見せ場やオチでは途端に、それこそ浅野いにおが大嫌いな売れ線の安っぽいファンタジーな表現に頼りがち。だから余計に読者は訳分かんない。
結局、漫画家としての実力不足を棚に上げてるだけなんですよね。売れ線路線・マイナー路線を今更議論するつもりもないですが、オチが意図通りに伝わらないって、もはや作品として致命的でしょ?
コメント
最後に自分の理解力の欠如を作者の力不足とすり替えたところがよかった
>2019年5月27日 8:34 PM
メンヘラゴキブリ信者発狂してるやんw
同意です。浅野いにおファンではあるけど、作中にも読者のレベルが低い云々言ってる辺り伝わらないのを全て読書のせいにしている。
自分は泣くシーンは割とわかりやすくはあった気がしたがね…一部の人間にしか伝わってないって事ですね。
「自分の漫画は分かる人には分かる」と思いながら描いてる所があるのでしょうね。
いにお先生エゴサしてこれ見てるかな。デデデデ楽しみにしてます。
独裁的ともとれるキャラが力なく涙して、抜け殻のようになって孤独を感じるのは好きだけどなぁ。
悪いやつが涙を流す=改心したとしか思えない、っていう固定観念、読解においての世界観の狭さを作者の表現不足のせいにしないでいただきたい。
感想言いたいのはいいけど、この主人公はこういう人間のはず!結末がこうあるべきだった!まで言っちゃうのは滑稽
悪いけど恥ずかしくなって鳥肌たった
まさにこれが読者と作者の距離だよな