【約束のネバーランド】コニーの胸にささった花の意味とは?

最近、『約束のネバーランド』は面白いと評判らしい。確かにストーリーの完成度が高く、様々な設定にちゃんと意味が込められており、色んな伏線も散りばめられている漫画。ドル漫でも既に面白いと考察済み。

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(約束のネバーランド1巻 白井カイウ・出水ぽすか/集英社)

この『約束のネバーランド』の衝撃的だったシーンが、やはり一話目の画像の場面。コニーという少女が食人鬼に食べられてしまう直前、主人公のエマたちが偶然それを発見してしまうシーン。まさに希望の楽園から絶望の淵に突き落とされた瞬間。

ただコニーの胸を見ると「花らしきもの」がささってることが伺えます。

そこで今回ドル漫ではコニーの胸にささっていた「花の意味」を解説したいと思います。果たして何か意味があるのか?単なる飾りなのか?何か実用的な目的があるのか?今後の『約束のネバーランド』のストーリーに重要な意味が?

花は「ヴィダ」という吸血植物

結論からさっそく書いてしまうと、花は「ヴィダ」と呼ばれる吸血植物。食人鬼たちは「血抜き」を目的として遺体にヴィダをさす。

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(約束のネバーランド3巻 白井カイウ・出水ぽすか/集英社)

クローネという敵キャラの遺体の胸にも「花らしきもの」がささっていましたが、相手が誰とかは関係なく人間の遺体に、とにかく鬼たちはヴィダをさす習慣があるらしい。理由はシンプル。

普通の野生動物でもそのまま常温で放置しておけば、肉が腐ってしまって食べることができません。どうやら食人鬼でもそれは同様らしい。もしかすると鬼の世界には肉を冷凍保存しておく装置などがないのかも知れない。

「グプナ」と呼ばれる神に捧げる儀式

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(約束のネバーランド6巻 白井カイウ・出水ぽすか/集英社)

そして注目すべきもう一つの目的が「グプナ(儀程)」と呼ばれる神に捧げる儀式。画像のソンジュ曰く、鬼たちが長年続けてきた伝統的な肉のほふり方とのこと。ヴィダの花が咲けば神が肉という糧を受け取った証とされ、その肉を食べてもいいという宗教的な価値観。

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(約束のネバーランド6巻 白井カイウ・出水ぽすか/集英社)

つまり食人鬼とはいえ神への感謝を忘れることはなく、花をさす行為は決して「弄ぶ行為」などではなく「敬意」しか込められていないらしい。ごはんを食べる時には農家の皆さんに感謝しましょう的なノリ。

何故鬼ごときが神に感謝するのか?

鬼がマスクを被る意味」でも少し考察しましたが、食人鬼たちは知性が高いが故に「宗教観」を強く抱いてる。しかも人間が持つ思想や価値観以上に、鬼たちは「謎の宗教観」に言動を縛られている。

ただ言っても、所詮は鬼。人間の高名な宗教家ですら、欲望に負けて犯罪行為に走ることもしばしば。それにも関わらず、ひたすらに食欲旺盛な食人鬼が「宗教的価値観」とやらを優先させることに何の意味があるのか?

だから「知性が高い=思想を持ってる」と短絡的に結び付けるのは間違いである可能性があります。もしかすると作者側のミスリードなのかも知れない。

○花のヴィダは「鬼の原罪」をあらわす?

何故なら宗教的価値観を守らなかった所で、鬼たちに強烈な制裁を加える存在がいないから。あくまで『約束のネバーランド』における現時点での「約束の意味」というのは人間と鬼たちの不可侵条約以上でも以下のものでもない。

そのため食人鬼たちにとっては、花をささなければいけない行為に「宗教的価値観を守るメリット」が存在するはず。逆に言えば、鬼たちが約束を守らないことに伴う「物理的な制約や制限(デメリット)」もある考察するのが自然なのかも知れない。

例えば鬼たちは人間を食べるけれども、実は血液が苦手だから花を使って血抜きをしてるとか?鬼たちは元々神の末裔。神への敬意や感謝を怠ると、存在自体が否定されて死んでしまうのかも知れない。

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