2021年7月19日、少年ジャンプ+で突如として公開された読み切り漫画が『ルックバック』。作者は『チェンソーマン』で有名な藤本タツキ。この読み切り漫画が公開されると、数日でまたたく間に百万PVを超えたそう。ジャンルはマンガ家漫画なんですが、どうやら内容がヤバいと評判。
そこで今回ドル漫では「ルックバックのネタバレ考察」を画像付きでレビューしたいと思います。ルックバックというタイトルに隠された伏線とは?
内容あらすじ解説まとめ
まずは『ルックバック』の内容あらすじを解説しようと思います。
主人公は「藤野」。どこにでもいる小学4年生だったが、【絵が上手い」ことを自負する女の子。学年新聞では自分の4コマ漫画を掲載し、同級生に自らの才能を暗に誇示していた。よくある漫画家の幼少期エピソードがモチーフっぽい。
ただ藤野はある日、担任教師から「とある頼み事」を持ちかけられる。それが学年新聞に掲載している4コマ漫画の1枠を譲ってくれというもの。その相手は「不登校の京本」という女子生徒。長期の不登校児だったが故に、藤野は京本の名前すら覚えていなかった。
周囲から称賛を浴びつづけた自信家の藤野にとって、むしろ自分の実力を更に誇示するチャンス。「ちゃんとした絵を描くのってシロウトには難しいですよ?学校にもこれない軟弱者に漫画が描けますかねぇ?」とほくそ笑みながら快諾。
しかし現実は厳しかった。
不登校児の京本は、とにかく画力がエグかった。初めて京本の4コマ漫画を見た時、思わず藤野も驚嘆の表情を浮かべてしまう。むしろ「京本の絵と並ぶと藤野の絵ってフツーだよな」と周囲から辛辣な評価をされてしまう始末。
藤野はショックのまま帰路に着くものの、「4年生で私より絵ウマい奴がいるなんて、絶っっっ対に許せない!!」と奮起。その日以降、藤野は画力を向上させるためにデッサンの本を買って勉強してみたり、スケッチブックで絵を描く日々が6年生まで続けた。
卒業式の日に京本と出会う藤野
藤野の絵に対する執念は凄まじく、6年生に進級しても仲の良かった友達とは全く遊ばなくなっていた。友達からは「中学で絵を描いていたらさ、オタクだと思われてキモがられちゃうよ」と悪口を言われる始末。それでも藤野は漫画を描くことは諦めなかった。
しかし、「才能」は努力で埋まらなかった。6年生でおそらく初めて配られた学年新聞に掲載されていた京本の絵は、更に格段に進化していた。これまで張り詰めていた全ての糸がぷつんと切れた藤野は、そこから絵の練習は止めて普通の小学生生活を送る。
そして、藤野たちが小学校を卒業する日が訪れる。
京本は依然小学校に来ることはなかったものの、最後に担任教師から「卒業証書を京本に届けてくれ」とお願いされる。藤野は嫌がりながらもしぶしぶ承諾する。京本の家に訪れる藤野。インターホンを押しても返事がなかったが、ドアが開いていたため玄関先に卒業証書を置こうとする。
その矢先、部屋の中から物音がしたため思わず侵入してしまう藤野。でも、その前に広がっていたのは大量のスケッチブックだった。京本は圧倒的な才能に恵まれていたかと思いきや、その根底には自分を遥かに上回る圧倒的な努力が隠されていたことを知る藤野。
○京本が実は藤野に憧れていた
敗北感と納得感で「無表情」を浮かべる藤野。どうにかしてやり返したいと思ったときに視界に入ったのが4コマ漫画の用紙。そこで京本を少し当てこすった内容の4コマをササッと描き上げる藤野。ただうっかり手が滑って、その4コマ用紙がドアの隙間から京本の部屋に入ってしまう。
思わず逃げる藤野に対して、その背後から追ってきたのは京本だった。そこで初めて二人は邂逅する。京本の開口一番は「3年生の頃から藤野先生の漫画みてました」。そして、「私、藤野先生のファンです!サインください」という一言に藤野は衝撃を受ける。
ちなみに、個人的に漫画家のことを先生と呼ぶ人間はわりと嫌いです。
誰よりも絵の才能に恵まれていた京本は、誰よりも藤野のファンだった。その後も「本当に同じ小学生なのかと疑うくらい凄くて」「藤野先生は漫画の天才です」など、京本の藤野愛は止まらない。藤野は努めて平静を装って話していたが、内心ではガッツポーズで心の筋肉がつるレベルだった。
藤野は京本に卒業証書を送り届けた帰り道、歓喜の舞を踊っていた。その後、中学校に進学した藤野は、再び漫画を描き始める。学校では友達と話すことはなく、日夜絵を描く日々。その傍らにはやっぱり不登校を続ける京本の姿もあった。
そして、二人は中学生にしてとある漫画雑誌の賞で準入選する。まさに才能が開花した二人に待ち受ける運命とは?
藤野のモデルは作者・藤本タツキ
ここまで読めば分かると思いますが、主人公の藤野のモデルはどうやら作者・藤本タツキ自身の可能性が高いです。藤野と京本という名前からも【藤本という名】が容易に想起されるはず。
例えば、「頭の中じゃ完成しかけてるし、あとは実質下書きとペン入れするだけって感じ」と藤野が京本に語ってる場面も、中学生の頃に「漫画雑誌を作って、そこで自分の作品を何個も掲載させる」という遊びを脳内でやっていた作者・藤本タツキのエピソードと何となく重なります。
先にネタバレしておくと、藤野はその後プロ漫画家としてデビューするんですが、その際の漫画も『チェンソーマン』(サメの悪魔・ビーム)をモチーフにしてる。ストーリー後半で登場する大学の構内も、藤本タツキが通っていた東北芸術工科大学がモデル。
だから作者・藤本タツキは「自分の漫画の中に作者自身を投影させることはない」と常々語っているそうですが、こと『ルックバック』に関しては異なります。作者・藤本タツキの性別は女性なのか?もしかして二人組だった?など読んでる内に藤本タツキの生い立ちとリンクさせてしまう。
ただ自伝的な描写が実際どこまで描かれてるかは不明です。少なくとも『ルックバック』の結末を読む限り、藤本タツキの狙いはそこではないことが分かります。
藤野は一人でプロ漫画家になり、京本は…
そこで『ルックバック』の内容やストーリーをもう少し掘り下げようと思います。今更ですがネタバレ注意です。
主人公・藤野は京本と共に、その後も漫画を一緒に描き続ける。京本は「家で暇でやる事なくて絵を描いていたけど描いててよかったって思えた。藤野ちゃん。部屋から出してくれてありがとう」と語るなど二人はすっかりマブダチ。
そして、藤野が高校を卒業したタイミングで編集者から連載デビューの話を持ちかけられる。それに喜ぶ藤野だったが、京本は浮かない様子。何故なら、京本は更に画力を向上させたいと美術大学の進学を望んでいたから。藤野は拒絶するものの、京本の意思は固かった。
その後、京本は美大に進学し、藤野はプロ漫画家としてデビューを果たす。京本は主に背景担当だったのでマンガ制作に大きな影響を与えることはなかったこともあって、藤野のデビュー作「シャークキック」の連載はコミックス10巻11巻と順調に進んでいた。
しかし、訃報は突如として訪れる。ある日、京本が通っていた美大に通り魔が侵入し、その凶刃に倒れてしまう。京本の突然の死にショックを受けた藤野は「シャークキック」の連載を中断し、京本のお通夜に足を運ぶ。おそらく京本は実家に近い美大に通っていた?
【ラスト結末】過去と未来の「異なる世界線」の文通【オチ】
京本の実家には大量のスケッチブックがまだ残されていた。藤野は「自分が外に連れ出さなければ」と後悔の念が襲う。自分がかつて描き殴った4コマ漫画もまだ残されていたものの、思わずビリビリに破いてしまう。その一部が再びドアの隙間から京本の部屋に入ってしまう。
でも、その先にいたのは小学6年生の頃の【過去の京本】だった。4コマ漫画の「出てこないで」という一コマだけ見た京本は、幽霊だと思ってギョッとする。過去の藤野が家に卒業証書を渡しに訪れるものの、京本はそのまま引きこもりを続けていた。
それでも美術に感銘を受けた京本は、件の美術大学にAO入試で進学する。この京本もやはり件の美術大学で通り魔の被害に合うものの、これを救ってくれたのはプロ漫画家の道を歩んではいなかった空手家の藤野。ちなみに、この空手家の伏線は序盤でお姉ちゃんが張ってます。
小学生時代に憧れていた藤野に偶然遭遇し、再び漫画を描き始めたことを知って京本はテンションが上がる。帰宅した京本はかつての藤野の4コマ漫画を楽しそうに眺めながら、自分も4コマ漫画を描き出す。でも風に吹かれて、それがドアの隙間から外に出てしまう。
その先に待っていたのは【現在の藤野】だった。それを読んで、かつて京本に言われた「藤野ちゃんはなんで漫画を描いてるの?」という言葉を思い出す。この解に直接的な言明はされていないものの、それは「喜ぶ藤野の表情」だったことが分かります。
つまり漫画を描く理由は「読んでくれる読者」のため。そして、藤野は再び漫画家として決意を固める…というオチで終わります。
この結末がいまいち分からないという人もいたようですが、世界線の異なる二人が【4コマ漫画を通して文通した】と解釈すればいいと思います。二人はどういう世界線を歩んでいたとしても、どっちみち漫画家になる運命ではあった模様。だから後悔する理由は微塵もない。
京都アニメーション事件の被害者に対する鎮魂と慰霊
このラストの結末まで読んでもグッと来る部分はあるんですが、実は『ルックバック』はとある実在する事件がモデルになっております。
それが2019年7月18日に起きた「京都アニメーション放火殺人事件」になります。敢えて事件の内容は詳しく触れませんが、30名以上のアニメーターが亡くなった事件。冒頭で説明したように一日ズレてるものの、『ルックバック』の公開日時もそこに合わせてきた模様。
モデルと表現するとやや語弊はあるものの、死亡した京本の京は「京都アニメーション」の京だった。主人公・藤野は前述のように作者・藤本タツキがモチーフですから、今回の『ルックバック』は作者から京アニ事件の被害者に宛てた鎮魂のメッセージとなっております。
藤本タツキは『涼宮ハルヒの憂鬱』や『日常』といったアニメーションが好きとのこと。これらは全て京都アニメーションが制作した作品。京アニ信者というほどでもないと思いますが、作者の年齢的にドンピシャな作品が多かったのはうなずけます。
タイトルの【ルックバック】は日本語に直訳すると【振り返ろう】といった意味になる。じゃあ一体何を振り返るのかと言うと、まさに京都アニメーション事件のことだった。多くの漫画家が『ルックバック』に反応していた理由も京アニ事件の衝撃の大きさを物語っている形。
OASISの曲名の伏線がヤバい
ただし、更に深堀りして考察していくと、「ルックバックの意味」は実は全く逆の意味が同時に描かれていたりします。
それがオアシス作の「Don’t Look Back in Anger(ドント・ルック・バック・イン・アンガー)」という楽曲のタイトルが作中にはこっそり描写されています。
最初は藤野の授業を受けているシーンの黒板。この右上に「Don’t」という英語が描写されております。初登場時の藤野は小学4年生でした。最近の小学生は英語を習っているようですが、それでも藤本タツキの小学生時代の当時は少なくとも習っていないはず。
もし小学生のキャラ設定を大事にするのであれば、英語の授業を書く演出は多くの読者に違和感を与えてしまう気がします。それもオアシスの曲名の伏線が関係してる。
最後は過去の京本から受け取った4コマ漫画を見て、主人公・藤野が再び漫画と向き合った最終ページ。左下に置かれた資料集の中に「In Anger」というタイトルの本が無造作に置かれている。この二つのコマの位置関係を見るとそれぞれ「右上と左下」でした。
Don’t
Look Back
in Anger
そこで真ん中にタイトルのルックバックを持ってくると、右上から順番に「Don’t Look Back in Anger」というフレーズが導き出される。
○「怒りは何も産まない」というメッセージ
じゃあ、Don’t Look Back in Angerは一体どういう意味なのか?
これを日本語訳すると「怒りを振り返るな」という意味になります。だから作者・藤本タツキは「過去(京アニ事件)を振り返ろう」と漫画タイトルでは言いつつも、本当のメッセージは「事件への怒りはもう忘れよう」という部分にあることが分かります。
事実、このオアシスの『ドント・ルック・バック・イン・アンガー』はイギリスのマンチェスターで起きた自爆テロの際にも追悼の式典で流れていたりします。確かに犯人への憎悪は誰しもアニメ好き・漫画好きは抱いてしまうものの、それは新たな悲劇を生むだけ。
Don’tやIn Angerという言葉を敢えて分かりづらく表現した理由は、自分自身のメッセージを押し付けたくない狙いがあったのでしょう。死刑廃止は世界的な流れですが、悲劇的な事件で正論を振りかざしても感情的に反発する日本人も少なくない。
一応、異なる世界線の藤野が犯人をぶちのめすシーンなども描かれているので、作者の「怒りの描写」はそれなりに描かれている気はしますが、あくまで作者の意図はひっそり表現されてる形になります。
だから『ルックバック』のテーマをまとめると、起きてしまった【過去】は残念ながら変えることはできないが、それでも【未来】はこれから作り続けることはできる。怒りは鎮魂にならない。作品を作り続けることが亡くなった被害者への唯一の弔いというところか。
「背中」のシーンやカットが多かった理由
以上の考察からバック(Back)の言葉は後ろを向くというニュアンスで使われているわけですが、英語のBackには他にも意味があります。
それが「体の背中」。
事実、『ルックバック』の作中で主人公・藤野が漫画を描くシーンのアングルはことごとく【後ろ姿】でした。小学生時代は背もたれがある椅子に座っているものの、プロ漫画家になった以降はバランスボールに座るなどほぼ同じカットが続く。
つまり、ルックバックという題名は「漫画家の背中」も同時に意味していることが分かる。でも、この演出の意図は何なのか?
例えば、同じくマンガ家漫画の『バクマン。』を読んでみると、漫画を執筆してるシーン(画像は新妻エイジ)は前や横からのアングルが多かった。キャラクターの顔や表情を見せないと、やはりキャラの心情が伝わらない、絵的に映えないということでしょう。
それ故、余計に藤本タツキの意図が気になる所。
○漫画家は【背中】で語れ
結論から言うと、背中姿は「漫画を描いているリアルな姿」だから。
普通に想像すれば分かると思いますが、仕事をしている漫画家は原稿と向き合ってる。そうすると自ずと背中を向ける。作者のドアップの表情を描く場合も「下から覗くアングル」になってしまう。漫画家の立場で考えると、誰かから覗かれている構図で気持ち悪いに違いない。
漫画家の顔が見える場面は、インタビューか何かで対面で誰かと喋っているときだけ。少なくとも顔が見える瞬間は漫画を描いていない。背中が見えない≒漫画は描いていないという裏返し。背中を見せ続けることで、藤本タツキは漫画家としての矜持を表現し続けた。
要は「漫画家は背中(作品)で語れ」という意味も込められた演出だった。藤本タツキは背中の数を描くことで【マンガを描いてきた軌跡】を表現してる。藤野は「京本も私の背中を見て成長するんだな」と語っていましたが、背中≒絵を描いてきた数や時間の長さと言い換えていい。
ラストの結末では楽しそうな京本の表情を見て、藤野は再び漫画を描き始めるわけですが、この『ルックバック』で詳細な表情が描かれているのは「漫画を読んだ瞬間」だけ。つまり、キャラの表情は「読者の表情」だけでいいということでしょう。
漫画家と読者は【マンガを通してしかコミュニケーションを取れない】わけですから、漫画家はマンガを描くしかないわけです。
【感想考察】ルックバック総合評価・評判口コミまとめ
以上、藤本タツキの読み切り漫画『ルックバック』のネタバレ感想考察でした。
『ルックバック』は思いの外、完成度が高い読み切り漫画でした。チェンソーマンのような漫画しか描けないかと思っていたので意外。細かい伏線の演出などもムダなく配置されており、140ページ超と決して長くもありませんが読みやすかった。
キャラクターも良かった。どっか青春要素もあって、まさに正統派。ラストの結末もポジティブに爽やかに終わってくれてるので読後感は割と充実。どうしてもグロい内容を多く執筆してる漫画家の印象はありますが、作者のメンタルは真正のイカレポンチではなかった模様。
どこまで作者・藤本タツキと藤野がリンクしているか知りませんが、「どんな世界線を歩んでいたとしても自分は漫画家になる運命だった」という強い意志も描写されている気がします。どんな世界線であっても優秀な人はクリエイターの道を歩んでいる、とでも言いたげ。
ただ才能がないと自分では思っていても、実は自分より優秀な人から称賛されている事実も教えてくれている。「後ろ」を振り返れば、大勢の自分のファンがいたりする。自分の才能に変に期待を抱かせる一方、どんな状況に陥っても描き続けないプレッシャーも強いている。
そのためプロの漫画家ほど、いろんな意味でショックを受けた模様。藤本タツキは有能であるが故に、漫画家全般に高いハードルを突きつけられていると感じた人もいたそう。
でもこの『ルックバック』一作品だけでショックを受けるって、普段から余程いろんな漫画を読んでいないんだろうなと思ったりもします。最近の売れてる若い漫画家は読み漁っている印象。もはやオマージュと称して表現をジャンジャカとパクっているぐらい。
○漫画の「ページ数」を制限する意味があるのか?
ちなみに、『ルックバック』のページ数は145ページ前後になります。
普通は漫画雑誌に掲載する場合、読み切り漫画のページ数は50ページ前後が多い。一方、コミックス単行本のページ数は概ね200ページ前後が多い。だから『ルックバック』は当初から単行本化を予定していたかは微妙だった気もします。
前述のように京アニ事件に対する思いを描かれた内容になっているため、『ルックバック』は利益や商売抜きで純粋に描き殴った読み切り漫画なんだろうと思います。なんのルールにも縛られず自由に描いたこそ多くの読者の胸を打ったし、当初は全部無料で公開していたはずなんです。
そう考えると、ネットの時代に「漫画のページ数」にこだわる必要がどこまであるのかは疑問。おそらく印刷の関係上、あらかじめページ数を決めておかないとダメなのかも知れませんが、漫画の内容が面白くなるのであれば1ページ2ページ多かろうが少なかろうが別にええやんと。
コメント
クソ記事
クソ記事。読まない方がいいよ
クソ記事にクソって言うな
in anger は 怒りにまかせて〜とか怒って〜といった意味で、don’t look back in anger で怒りにまかせて振り返らないで→辛い思い出にしないで といった意味かと思います。